1999年に浦島太郎状態でベルギーから日本に戻ったころ、丁度欧州でユーロを導入することが日本でも大きな話題になっていた.日本では欧州のことを「ヨーロッパ」というので、私が「ヨーロ」と言っていたら、何度となく訂正され「一体だれが欧州の通貨の名前を『ユーロ』と決めたのか?」という疑問を投げかけた.

Noro153+EN2012-01-14


まだ1999年には「ユーロ」と「ヨーロ」と両方見かけたが、ある人に寄ると朝日だか読売の大新聞が「ユーロ」としたので、それで定着したとか・・・欧州の言葉では欧州のことを「europe, europa」と書くので、その最初の4文字をとったのが通貨の名前になった.だから「ヨーロッパ」と発音するのになぜヨーロではなく、ユーロなのか、今でも不思議に思う.

日本には他のほとんどの国にあるような「言語を決定する機関」がないという.「世間一般がそうなら、それが正しい」ということのようだ.その時の権力や大多数(世間一般)が常に正しいのだ.もしある人が「近頃の若者は日本語さえまともに使えない」と言って、そのある人の地位が高ければ高いほど、知名度があるほど世間一般は「なるほどそうなのか」となる.私は「では、正しい日本語とは?それはだれが決めるのか?」という疑問が湧くが、私のような疑問を持つ人はほとんどいないようだ.

横浜のど真ん中で生活していたので、自転車の無謀運転が非常に腹立たしく、数回に渡りその辺にいたお巡りさんに「自転車は歩道を走っていいのか、車道を逆走しても許されるのか、一方通行の道を逆走または十字路で一旦停止しなくて良いのか」など質問した.「自転車に関してはちゃんとした決まりはないんです」という答え.ある時、両方とも一方通行の角にあった私の店の窓から、数名の自転車に乗った警察官が通ったので、すぐに外に出て一人の警察官に怒った口調で「自転車は一方通行の道を逆走して良いのですか?」と言ったら、その警官はすぐに無線で先に行った数名の警官に連絡、全員自転車から降りた.自転車走行の法律がない割に、自転車が起こした多くの悲惨な事故を見聞きしていた.

ウィキペディアに寄ると「日本では労働基準法32条第1項により週に40時間まで、同条第2項により1日8時間までと、労働時間の上限(法定労働時間)が定められている。」というまともな法律が有るらしい.しかし、それを守っている雇い主がいるという話は聞いたことがない.それどころか月300時間とか400時間働くことが自慢になったり、強いられたりしているらしい.その長時間労働で精神病になったり、自殺してしまったりという話は日常茶飯事だ.有給休暇も「周りが有給休暇を取れるような雰囲気ではないので」取りにくいという.ベルギーの場合は、法律で決まっていることを守らないと「犯罪」となり、罰則が厳しい.雇い主は労働者を最大限活用しようとする.そして労働者は弱い立場にいるので、必ず間に入る機関があり、両方に労働法を守らせる.現在週に37時間労働が法律で定められた労働できる時間だ.(週に1時間以内の超過、月に3時間、年に15時間までの残業は認めるが、それ以上は違法になり両方とも罰せられる)

昨日、フェイスブックの知り合いが書き込んだ「神奈川県警」のポスターにショックを受けた.明らかに「外人嫌悪、外人差別」を公然と表現している.世界でも有数の大都市の都知事が、外人差別や女性蔑視の発言をしても罰せられない.日本は人種差別撤廃に関する国際条約に加入している.しかし、国連人権委員会の調査では、

「日本には人種差別と外国人に対する嫌悪が存在し、それが3タイプの被差別集団に影響を及ぼしていると分析しています。その集団とは、部落の人びと、アイヌ民族および沖縄の人びとのようなナショナル・マイノリティ、朝鮮半島出身者・中国人を含む旧日本植民地出身者およびその子孫、ならびにその他のアジア諸国および世界各地からやってきた外国人・移住者に分類しています。
  特別報告者は、そうした人々が日本で直面している人権問題を明らかにし、以下のような勧告を行っています。(1)日本における人種差別の存在を認め、かつそれと闘う政治的意志を表明すること、(2)差別を禁止する国内法令を制定すること、(3)人種、皮膚の色、ジェンダー、世系(descent)、国籍、民族的出身、障害、年齢、宗教および性的指向など、現代的差別における最も重要な分野を集約した、平等および人権のための国家委員会を設置すること、(4)歴史の記述の見直しおよび歴史教育のプロセスに焦点を当てること、などです。」


この10ヶ月間、散々政府と東電の原発事故処理対応の酷さを目にした.もし、これが EU内であれば、書き記してある法律で処理がなされ、人権を無視した対応はあり得ない.しかし、日本政府は明らかな憲法違反(基本的人権無視、検閲をしている・・)をしているが、だれもそれを指摘しない.この10ヶ月で問題は解決方向へ進展しただろうか?

日本に居た11年間で、私が見聞きしたことから判断すると「法律とは、誰かを虐めたい時、権力の邪魔になるものがいる時に持ち出すもので、世間一般常識が最優先する.なので、権力や力の有るものが決めた世間一般常識から外れるものはスケープゴート又は村八分」になる.ホリエモンの件や小沢一郎の件、外人差別、女性蔑視などを見ると明らかだ.

文面として書いてある法律や憲法よりも「曖昧、ウヤムヤ、世間体、ナアナア、建て前、義理人情、学閥、世襲、伝統、絆、繋がり」という社会的慣習が優先する社会で「自由と民主主義」が実現可能だろうか?というか民主主義の概念や人権の意味や法律は守るべきであることをも教えない学校教育.どうせだから、民主教育や文面としての法律制定やそれを守るという西洋思想は、日本の伝統とは相反することを正式に宣言し、独自の道で「繁栄」してはいかがだろうか?