欧州の様々な町を訪ねると、その町の政治の歴史的経緯などが町づくりに反映しているのが良くわかる.それが楽しくて旅行は止められない.

Noro153+EN2011-09-08


6月にイタリアのボローニャフィレンツェを訪れた.知らない町なので、ほとんど中心部に安宿を探した.私が旅行をする目的は、「歩き回る」こと.町がどのように形成されているか探ることが、一番おもしろい.事前の知識はほとんどなく(一般的なことのみ)街並などを観た後で、興味あることはネットで調べるという、とても乱暴な行き当たりばったりの旅行をしている.


ボローニャの感動は、まずあの歩行者を強い日差しや雨から守る歩道の作り方、ほぼ全域と言って良いぐらいにこのような歩道がある.偶々、私がボローニャにいたときは、原発についての国民投票直前で、そこら中で井戸端会議風の討論が行なわれていたのも興味深い.そして確か、国民の9割超が反原発だったはず.イタリアには数カ所原発が建設されていた(不稼働で)が、国民投票ですべてが廃止となるそうだ.

イタリアもベルギーも町のつくりとしては、とても似ている.町は大きくても小さくても必ず中心という場所がある(これが町の心臓部).ブリュッセルでいうと右上の写真のグランプラスという広場.ボローニャピアザマジオーレ、どちらも意味は同じで「重要な広場」.ここにはどちらも町の政治(役所と議会)や経済(市場)活動が行なわれ、市民の憩いの場でもある.歴史的に重要な文化活動としてオペラ座が、どちらの町も広場のすぐ近くにある.ボローニャではオペラ座と言わず「市民劇場」という名前だ.ベルギーの独立戦争もあるオペラが切っ掛けで、市民が立ち上がったという事実があるが、オペラや演劇(芸術)というのは常にその時の暴君的な政治批判や人々に勇気を与えるものだ、というのを欧州では感じられる.

ほとんどの欧州の古い歴史を持った都市や市町村は、このように現在でもかなり「直接民主主義」ができるであろう町づくりになっている.もちろんブリュッセルのような百万都市になると地区ごとに、同じようにはっきりとした中心広場があって、そこに威風堂々とした区役所があり、市がたちイベントが行なわれ、人々が集まる.

このような古い欧州の町でも特殊なのが、やはり6月に訪れたスウェーデンのゴーテブルグと一昨年訪れた(昔住んでいた)ドイツのベルリン.ゴーテブルグは長い歴史があるだろうが、この数十年の経済優先で多分非常に変わったのだろうと思う.残念ながらはっきりした中心部というものがない.巨大なショッピングセンターがあって、全く別の場所に役所があるが、役所は役所でしかない.オペラ座も全く別の場所・・・ ベルリンも同様に中心というものがない、ベルリン人に言わせると沢山の中心部があるが.戦争で町が真半分にされ、当然昔の街並や機能というのは再現されずにいる.

日本の町はどうだろう?私は横浜しか知らないので、大したことは言えないが、概してその時々の都合で短期的に変化しているように思う.しかも「人々の都合」ではなく、その時々の政治や経済の都合で町自体を作り変えている.横浜は開国のために作られた.当時の権力者にとっては外人は想像できない脅威だったので、東京からさほど遠くなく、しかし万が一の時には封鎖できる場所として横浜村が選ばれた.成り行きで発展はしたものの、常に国の都合で変えられた.最初の鉄道が敷かれた「横浜-新橋」その時の横浜駅は現在の桜木町駅だ.一時は現在の高島町横浜駅桜木町駅の中間点)が横浜駅で最終的に今の横浜駅に移動した.東海道線を通す時に、横浜を無視できず、しかし盲腸のように横浜中心部へは線を持っていくのは不合理だということが理由だろう.私が十代のころは、横浜駅はただの駅でしかなく、お店というのも指で数えられるほどしかなかった.商業の中心部は伊勢佐木町の時代だ.

産業を中心に町が作られると、その産業が駄目になった時には、その町自体がだめになる.当然といえば当然かもしれないが、人々の生活は?産業の為に生まれ育った村や町を後にした人々には、どうにも納得できないのではないだろうか?

欧州のほとんどの町は自然に出来上がり、人々の生活が優先され進化している.経済優先や政治優先で進化するのは、ごく稀のように思える.