ヨーロビジョン、欧州国別歌合戦2014

今年のヨーロビジョン、欧州国対抗歌合戦は、昨年の優勝国、デンマークで開催された.2014年の優勝国はオーストリアだったので、来年2015年の記念すべき第60回ヨーロビジョンはオーストリアで開催される.

59年前、戦争で荒廃した欧州に楽しいイベントを創ろうと「欧州放送局連合」がテレビ番組として創設した.

今年のヨーロビジョンの優勝国オーストリアの代表は、25歳の口ひげの(男性)美女で、開催前から話題になり、5月10日の決勝開催直後には、ロシア副首相が激怒しツィッターを通し「怒り」を表明したり、ホモフォビア(ホモ嫌い)たちからの凄まじいヘイトの書き込みが殺到したり・・・

ロシアの副首相、Dmitri Rogozine氏は(口ひげ美女の優勝について)「非常に失望、遺憾である.欧州に対しての激怒には上限がない.これは欧州の崩壊を意味する.50年前にロシアは、それまでオーストリアに進駐していたが解放した.これは間違いだった.進駐していればこんなことにはなっていない・・・」とまで発言し、決勝翌日11日には、各国主要メディアがそれを伝えた.
ベルギー・La libre Belgique : http://www.lalibre.be/culture/politique/la-russie-se-souleve-apres-la-victoire-du-travesti-autrichien-a-l-eurovision-536f653e35704f05d6908cb7

ヨーロビジョンは各国一人の代表者を送り込むために、自国でのコンクールなどで事前に選ぶ.オーストリアは昨年の国内歌唱コンクールで優勝し、今年のヨーロビジョンへその代表、口ひげの美女を送るかどうかも意見が2分されたという.国内での人気、人柄、そして何より「オーストリアが性的少数派にどれだけ寛容か、人権や自由や平等精神を推奨しているイメージ」を見せる絶好のチャンスとして、決定されたという.国内のコンクールで優勝した直後から幾つかのテレビ広告、例えば、電気会社のエコ節電広告などにも出演しているので、口ひげ美女の人気が伺える.

私もヨーロビジョンはベルギー人応援のために準決勝を観たが、残念ながら決勝進出とはならなかった.

今年のヨーロビジョンは、参加国(今年は39カ国)全域に生放送され、各国で選ばれた専門審査員3名づつ、とパソコンや携帯電話GSMで一般の人々が投票できる仕組みになっている.勿論自国代表者へは投票できない.各国審査員の採点はすべて公開されている.

国際スポーツ競技などと同様に「一切、政治や宗教や人種差別などは御法度」となっているが、採点を観ると「あやしい」感じも否めない.元ソ連圏はそれぞれ「仲間国や親元」を優遇したり、今回の採点も「宗教が強い国」は優勝者、口ひげ美女には零点だったり・・・噂では、多くの参加国はヨーロビジョンを「外交」に利用したり・・・

何はともあれ、今回の優勝者は、歌唱力/表現力ともに最高得点、しかも断トツ1位に相応しい、私自身も歌唱力や表現力に加え、別ビデオでのインタビューなどに感動した.13カ国が持ち点の最高点12点を彼女に与え、10カ国ほどが次点10点を与えている.これは欧州の自由と人権思想が本物であることをまた一つ示してくれた.人を人種や色や出身地や姿形などで差別や判断はしない.

優勝したコンチータという芸名の口ひげ美女は、優勝の感動を「この優勝は、自由と平和を望む全ての人々のものです.私たちは「ひとつに繋がっている」そのためにこれからも闘います」という挨拶をした.

Conchita Wurst Final : Eurovision 2014

オーストリア国内の歌唱コンクール、初めて見る人はびっくりするが、歌が始まると次第にコンチータに引き込まれ感動、最後にはスタンディングオベーション・・・
Conchita Wurst Austrian Final 2011

ヨーロビジョン・オフィシャルサイト:http://www.eurovision.tv/page/news?id=austria_wins_2014_eurovision_song_contest

追記:ベルギーでは、すでに数年前から、用紙などに書き込む男女別の他に第3の性を付け加えることや一切の性別表示を無くすことなどが、検討されている.生まれ持った性でどちらにも当てはまらない(どちらにも当てはまる)場合が多々あるという事実.

追記5月13日:コンチータの優勝で様々な評価がネットや新聞記事になっているので、ここに書き留めておくと(ご多分にもれず私もすっかりコンチータのファンになってしまったので):音楽評論家の批評はフランス、ベルギー、英国、オランダなどでは「最高の評価」であること.彼(女)は、世界の舞台に立つシンガーになることは勿論これから目指すことであるが、それ以上に歌を通して訴えたいことは「人権であり、差別のない世界を創ること」、だれでも自分を偽らずに自由に生きる権利があること.人種、肌の色、出身地、着るもの、姿形、男女差別、性的指向などで人を判断することは、人権問題であり、過去のこと.他人に迷惑をかけないのに、なぜ本当に自分の好きな格好で生活できないのか・・.と言う訳で、敢えて「口ひげ美女」というパーソナリティを作り上げ、それで歌うことにしたという.だから「性転換を望んでいる訳でも、舞台の口ひげ美女が彼自身ではない」という.最近の世界の「ホモフォビア・ホモへのヘイト」を懸念している.歌だけ聴いても、みな彼(女)の虜になってしまうが、英語は母国語?と思われるほど堪能で、頭脳明晰で魅力的な話し振りでも彼(女)に恋をしてしまう、と某国放送局のインタビューワー.

以下は昨年11月アイルランドでのインタビューで:

日本の違法調査捕鯨について(4)

whaling

ハーグの国際司法裁判所の判決が、3月31日発表された.判決は予想通り、日本の完全敗訴.私が一番驚いているのは、日本の新聞記事各種に書かれる「予想に反しての敗訴」「驚きの完敗」「全く予想していなかった」などの見出しだ.私は、もし日本が勝訴することがあれば、それは日本側の裏工作が成功したという以外は考えられないと思っていた.(もちろん国際裁判所が威信を失う)

理由は、以前の「日本の違法調査捕鯨について(1〜3)」を読んで頂ければ解るように、調査捕鯨とは科学という偽装の元に行われていたインチキ調査捕鯨、官僚の天下り先確保でしかないこと.その日本の偽装調査捕鯨については、世界の多くのメディアが長年に渡り取り上げていた、にも関わらず「驚き」とは・・・

もう一つの驚きは、本日12日、政府が『「残念であり、深く失望しているが、判決に従う」とする答弁書を決定した。』と同時に、農水省(又は日本鯨類研究所)が「2015年度以降、南極海での調査捕鯨を再開する意向を示した。

これはもう、日本はだれがトップにいるのか、政府か官僚か.日本の建前と本音.国際社会をどう見ているのか、日本は非論理的、非倫理的な意地を貫き、孤立したいのか.これらを問う以外にない.

【世界の世論と反捕鯨の倫理的理由】
世界の世論は、反捕鯨だけではなく、同様に反野生動物狩り、反アシカ狩り、など等の方向へ行っていること.例えば、象牙のために、数百万頭もの野生の象が殺された.アフリカでは1970年代に次々に「象狩り」が禁止され、1980年代には「象牙の売買/輸出入禁止法成立」にも関わらず、現在でも年1万頭以上の象密猟が後を絶たない(見つけた場合、その場での処刑が法律としてある国々も).象牙は明らかに、日本が「鯨肉の伝統」とするより古くから利用されていた.アフリカの多くの民族が「食と生活の伝統」としていたのは、事実として誰でも想像できるが、現在では多分「象肉」の味を覚えているアフリカ人はそう多くはないはず.そして、象は象牙だけではなく、象肉や骨まですべて利用するからと言って、象狩りを肯定する世界の世論はないでしょう.

歴史では、自国の下層階級を「農奴という資源」として正当化していたが、欧州では17世紀には廃止された.次に「黒人や有色人を労働資源」として国際的に売買が正当化されていたが、18世紀から19世紀前半には「奴隷制度廃止法」が各国で成立している.

野生動物を「資源」としてつい最近まで乱獲していたのも事実だが、世界世論は、日本がクジラなどを「資源」として殺すことも同様に、21世紀の人類には相応しくないと大多数が思っている.同様にアシカやクマなどの野生動物を「資源」と見なすこと自体が、人類にとっての負の歴史であること.

負の歴史、野蛮であった過去を直視することで、(全ての人や動物、自然環境にとって)より良い世界への希望が持てるのではないか.

追記:多くの日本人が反捕鯨反日本と考えているが、これは完全に勘違いであることを認識しなければいけない.こういう勘違いが多いのは、日本の官僚とメディアが長年に渡り様々な「プロパガンダと洗脳」を続けた結果で、異論がなかった日本の捕鯨は、彼等にとってはいとも簡単な誘導であった.今回の国際裁判の判決から、捕鯨の賛否両論の議論が繰り広げられることは、日本にとっても世界にとっても良いこと.

昔「私は無神論者です」というと「それでは善悪の判断はどうやってやるのか?」という質問を良く受けた.若かりし頃の話しなので、そういう人々とまともな議論ができたかどうかは忘れてしまったが、齢を重ねると次々に自分の曖昧な感覚をはっきりと他人に説明できるようになってきた.

社員食堂


若かりし頃はそういう質問をする宗教信者は、バカだと思っていた.人間としての常識や正義で善悪なんて判断できるじゃないの、と思っていた.しかし、その「常識や正義」というものが、世界各地、または社会の様々なグループで違うのだ、ということが解ってきた.様々な宗教、様々な信念の基に成り立った社会、それぞれの常識があり正義がある.

例えば、回教徒にとっては豚肉を口にするより死を選ぶ.だから回教徒に無理矢理豚肉を食べさせることは「拷問」になる.ヒンドゥ教徒には牛が聖獣なので、絶対に口にしない.儒教の影響を受けた社会または家族の中で育った人は、どんなに親が犯罪(社会や国の法律違反)行為をしていようとも、それを公表しない.・・・というようにそれぞれの宗教や信念の外側にいる人々にとっては「バカじゃないの」と思う事が、その中に入る人々にとっては真剣な正義で常識なのだ.

ある意味「宗教が無くてどうやって善悪の判断をするのか?」と質問する人も満更「バカ」という訳ではない、と最近では考えるようになった.ベルギーのように多文化共存を理念とする社会では、昔からどうやったら、宗教、言語、信条を超えた共通の約束や目標、目的が可能かが追求されてきた.「文化・カルチャー」というのは、一つの宗教を共有する社会、一つの言語を共有する社会、一つの信条を共有する社会の中で育まれる習慣や活動、そして価値観のことを言う.だから、多文化共存とはそれぞれ違う文化圏の人々が別の文化圏の人々の存在を認め尊重し、お互いに仲良く共存することを目的にしている.

因に私が仕事をしている場所、ベルギーにいる難民を援助し、ベルギー社会にとけ込ませるための組織の名前は正に「共存・コンビビアル・一緒に生きる」とそのままだ.100名近い有給職員の国籍は28カ国にのぼる.少し詳しく言うと似たような名前の3つの非営利団体が協同し、一つの建物の中で活動している.3つの非営利団体というのも最近知った事で今でも私自身がどの非営利団体に属しているかは良くわかっていないほど「一つの団体」になっている.管理する部署は一つでディレクターは一人、経費節約のために3つのグループが一緒になり、とても成功している.

(上の写真はコンビビアル職員の食堂で.ディレクターがテーブルに腰掛けみなにスピーチ)昼食はメニュー一つで選べない.しかし、どんな宗教や信条でも食べられ、だれもにも嫌な思いをさせないように「完全菜食」を徹底している.肉を食べないことは、宗教の違いもあるが、反資本主義の人々も肉を食べない、動物愛護の人々も完全菜食、地球環境問題を考えている人も肉食には反対だ.あるグループは大量生産された肉は食べない、あるグループはチーズや牛乳、牛はだめ・・・と、とてもややこしい.それで、私の組織では「完全菜食」という共通してOKな食事になったという.

ところで、日本にいた頃の知り合いが「外国へ行くとレストランなどで何を食べていいか分からないので、すでに食事をしている人たちが何を食べているかテーブルを回って見渡して、美味しそうなものを指差して注文する」と言っていた.これは(欧州では)実は非常に無作法な行為だ.何を食べるかという事自体がプライベートなことで、ある意味「下着は何を身につけている、週に何回身体を洗う」などに匹敵する.だから、だれかとテーブルを共にしても相手が何を食べているかは、干渉しない、お皿を覗き込まないことが、礼儀・マナーになる.(ましてや日本の風習、誰かが勝手に注文したり、何かを食べるよう勧めたり、レストラン自体が注文もされていないのに出したりは、違う文化の人々には嫌な思いをさせることにもなる)

さて、食べ物の他にあらゆる社会生活が同様に違うということを認めないと他人を認める事にはならない.要するにある一つの社会やグループ内での常識・当たり前は、別の社会やグループの中での非常識になりえることを意識し、認めなければいけない.

例えば、日本人間で常識として浸透している「日本人は時間や約束を忠実に守るが、外国では時間にルーズだ」は世界共通の認識だろうか?私はそう思っていない.ネガティブな言い方をすると「日本人はそこにカネや世間体が絡むと時間や約束に忠実だが、そうでないと時間に正確ではないし、約束も守らない」.ベルギーでは(カネで幸福は買えないし、世間体という感覚がないので)日本とは反対に、家族や友人達との約束や時間は忠実に守るが、仕事としての時間や約束にはあまり忠実ではない.お店や役所や郵便局などの開店時間を数分、数十分遅れて開店してもだれも文句を言わない.先日も私のMacの調子が悪く、開店10時のアップルのお店に9時半から待っていたら、何と開けたのが10時半、30分遅れだ.二人の若い店員は謝りもしないし、同じように開店を待っていたおばさんは気にする事も無く時間の無駄をしないように、別のお店へ行って戻ってきたのが11時近く.その代わり、多くのベルギー人のプライベートでの時間の正確さや約束を忠実に守る姿勢には、非常に感心させられている.日本では沢山の知り合いや友人達の裏切り(約束を守らない)や時間を守らないことを経験した.私との約束を守らなくても世間体を傷つける事もないしカネも損しない・・・

ここで私が言いたい事は、〇〇人は何々、▲△人はこうだという事自体が偏見であり(上記私が書いたベルギー人についても)私自身常にそれを意識しないといけない、ことを自覚している.その社会の9割がそうでもそうでない人々もいる.あるメルマガに書き込まれた文章が心に残っている.「日本は技術的には中国より上だから・・・」と当たり前のように書き込まれていたが、そう思っているのは日本の社会だけではないだろうか?少なくともベルギーでは「日本は(何々の)技術はに中国より上」と考えることはあっても、国として・・という偏見はない.日本では「日本人は何々だけど、外国人は何々」という言い方を多く耳にするが、国やあるグループ単位でそこに属する人々を判断することは明らかな偏見だ.国がどうこうというのは、その国の政府の方針のことを言い、それは明らかな政策を指している.その国の政府の政策を批判してもその国に属する人々や個人を批判することは間違っている.

では、何を人類共通の聖典とするか?または共通の聖典なしに「多文化共存」は可能か?

上記のように、私のいる組織は同じ建物に3つの違う非営利団体が一つの目的「ベルギーにいる難民の生活をより良いものにする」ために日々活動をしている.それに協力してくれている何十もの他の組織や団体、政府、行政、様々な外国政府の存在も重要だ.例えば、素晴らしく設備の整った「パソコン教室」があって、連日生徒(難民)たちがパソコンの基本を勉強している.私の組織「コンビビアル」が主催しているが、講師の派遣と設備は全く別のパソコンの普及に徹した非営利団体が行っているという協同作業だ.講師に給料を払っているのはパソコン普及の非営利団体だが、講師はウチの組織に来たら100%ウチの組織のパソコン講師になり、その非営利団体は一切の口出しはしない.その非営利団体は、様々な別団体や行政から助成金や寄付を集め運営資金にしている.だから「無料のパソコン教室」をブリュッセル(又はベルギー全土)各所で運営することが出来る.フランス語の講座もいくつか種類がある.パソコン教室と同様に、別の非営利団体(外国からの文盲者に言葉を教える事に徹した団体など)が給料を出している講師たちが、ウチの組織でも講座を開いている.パソコン教室と同様、ウチの組織だけではなく、様々な場所で「無料のフランス語教室」を運営している.木工訓練部門も同様に別組織や行政の協力により、難民と失業者などすべての人々を対象にした職業訓練所だ.「食糧銀行」の部門もあり、毎日沢山の人々(難民)がスーパーにあるような食品を無料で貰う為に来ている.「世界食料銀行」と「欧州食料銀行」との協同作業だ.それにベルギーのほとんどの国内や周辺の国々の食料製造会社やスーパーなども協力して、過剰生産、売れ残り、消費期限の短いものなどを無料でウチの組織に届けてもらい、もちろん無料で必要とする人々に配付している.欧州食料銀行は欧州中に様々な団体を介して、困っている人々に無料で食料が届くような活動をしている.

もう一つの部署はアパートなどを見つける不動産部門がある.幸運な事に個人で億近くを寄付してくれた人がいて、近くに建物を買い取り、修復後現在は7家族が最高6ヶ月を限度に住める場所があるが、一般のアパートを見つけることがその部署の目的だ.そのためには、難民の支払い能力を保障(国がすべての難民に最低生活できる金額を毎月支払っている)し、最初に払い込む金額はウチの組織が貸し付ける.その不動産部門はやはり、幾つかの「弱者のためにアパートや住居を捜す、確保することに徹した別組織」からの協力がないと成り立たない.一般の低所得者用の住宅を供給している行政や非営利団体などとの連携がある.生活物資、衣服、家具などの部門は一番大きくて、ウチの組織の建物全体3700平米の4分の3と職員の数も一番多い.個々に持ち込まれたり、倒産会社からのもの、そして有名な赤十字組織始め沢山の「弱者や低所得者を助けるための組織」からの寄付がある.昨日は年に2回ある職員が買っていい日で、被服や靴1ユーロ、おもちゃなど0.5ユーロ、カーテン生地一巻き10ユーロで売っていた(難民へは完全無料).最後の片付けを手伝ったが、カーテンは生地屋が倒産し、寄付されたもの.1トン近い残った衣服は別の非営利団体へ渡す事になった.この非営利団体はベルギー中にお店を持ち、社会の弱者や一般の人々へ衣服や生活物資などを数十円で売り、売り上げを様々な団体へ寄付している.

私の部署は、文化と芸術を通して難民をベルギー社会にとけ込ませること、難民の実情や現実などを一般の国民に知らせる広報の役割を持っている.すべての人々に文化芸術を楽しんでもらうことを目的に活動する様々な別団体、欧州人権・難民委員会、国連難民高等弁務官、欧州難民基金などとの連携や協力がある.そして、有給職員百人とは言え、ウチの組織が給料を出し、直接雇っているのは3分の1、他は国や行政機関や別の非営利団体が給料を出している.

長々と私がいる組織「コンビビアル」のことを書いたが、たかが社会の一つの問題「難民」に何十もの様々な非営利団体や沢山の行政や国際組織などの協力がある.ということは、何かの共通の「聖典や基準」がないと成り立たない.例えば組織内の決り事が別組織の信念と食い違いがあれば、このような協力体制を作ることは不可能になる.ましてや義理人情や絆のような個人的感情が入ったら、団体として成り立つとは思えない.

日本の様々な組織や団体、グループなどを見ているとこの基本になる「聖典か基準」が曖昧か無いかで、協力体制が中々難しいのではないかと思っている.多種多様であることは、何か共通の約束ごとを見つけないと共存や共通の目的を持つことは出来ない.今日の日記を書く切っ掛けになったのは、経産省前の反原発グループやオキュパイグループ、動物愛護グループ、環境保護グループなどが全くお互いを無視し、協力体制は不可能と思われる発言を今まで目にしてきたからだ.私にはそれぞれの問題の根っこは共通していると思うが・・・日本という単一文化圏社会で問題を解決するのに人々の協力を得られない.ベルギーのように多種多様、大多数はいない少数派の集合体社会で「何かの問題を解決するために」沢山の組織や人々が協力してくれる・・・

私のいる組織「コンビビアル」の「聖典」は、世界のほとんどの国が採択した「世界人権宣言」だ.欧州憲法とベルギー憲法、ベルギーの国にあるのでベルギーの法律なども同様に守るべき約束事だ.聖典といってもだれも盲目的に信じている訳ではないが、現在考えられる段階では、世界人権宣言は共通の聖典としては最高のものだ.法律も同様にまずい個所があれば民主的方法で変えていけば良い.世界人権宣言を基に欧州憲法やベルギー憲法は作られている.そこには矛盾する事柄はまずない.

キリスト教、回教、ユダヤ教、仏教も無神論者も菜食主義者も環境問題を扱う人々も社会主義も資本主義者も共通して守らなければいけない「聖典」だ.ベルギーではパブリックの場では「宗教」を無くすことが大昔から考えられてきた.個人がある宗教を信じる事は良いが、宗教が社会を支配しないために、法律や憲法そして人権宣言がある.このような言語、宗教、信条、伝統を超えて決められた約束ごとを無視して、社会生活や目標を持つことは不可能だ.

(以前書いたかもしれないが)世界人権宣言の第27条だけを目的にした非営利団体の人たちと交流がある.その名も「第27条・Article 27」という団体で、芸術文化をベルギー中の弱者に浸透させる活動をする非営利団体で、(コンビビアルも含め)その関係の活動をする団体や行政へ「第27条」というチケットを配付し、受け取れる(難民を含めた)社会の弱者はほとんどの美術館、博物館、映画館、イベントなどへ1.25ユーロ、約130円で入場できる.それぞれのイベントや博物館などへは、この組織が差額を払っているが、国や地方行政の緊縮財政の影響を受け窮地にたたされているらしい・・・この団体のお陰で法律が改正され、国営、地方行政の管理や助成金を受けている芸術文化主催主は、社会の弱者(ホームレスを含めた全て)への特別料金設定や弱者を受け入れる体制作りが義務づけられている.

世界人権宣言
第27条
すべて人は、自由に社会の文化生活に参加し、芸術を鑑賞し、及び科学の進歩とその恩恵とにあずかる権利を有する。     
すべて人は、その創作した科学的、文学的又は美術的作品から生ずる精神的及び物質的利益を保護される権利を有する。


先週の土曜日は珍しく同僚と私二人で出勤だった.ブリュッセルの「必要とする人々に付き添いをするグループ」の人々30数名が「難民の実態を勉強」するために来た.普通のおじさん、おばさん、リタイアした人たちが中心だが、若い人々も数名.このグループの活動は「お年寄りや移民などの全ての社会の弱者など必要としている人々に付き添う(病院、役所など).家に届く書類の分類などを手伝うこと」助成金なしでグループの自己資金だけで活動する純粋なボランティアグループだ.実情は・・であることを説明し、質疑応答などをするが「人種差別がどうして間違っているか、人間はみな平等である」というような基本的(世界人権宣言)なことは常識となっているので、改めて討論する必要はまずない.人権とは、道路で寝起きしている無職の人、刑務所で服役している人、外国人移民、難民、普通の人々全てに平等に適応される.人としての基本中の基本だ.

他の沢山の組織や団体との協同作業が、信じられないほど巧くいっているのは、どの関連組織や団体も同じ聖典「世界人権宣言」をベースにしているからだ.それを基に沢山の非営利団体や政府や行政が複雑に絡みあい協力体制(何重ものセーフティネット)が出来上がっている.絶対に日本のように「餓死者」を出すことはない.因に人口百万のブリュッセルには5千を超す非営利団体があり、その内数百は様々な「人権」を基にした団体だ.その他動物の権利保護を目的にした団体も100以上はあるだろう.動物の権利や保護に長年興味を持っている私でさえ口出しする必要などないほど、動物の権利が守られている・・・

ベルギーで難民申請をする人は昨年約24000人いた.その内申請が許可されたのはたったの15%だ.許可されると私たちの組織に直行してくるが.しかも、一回の申請、数ヶ月で許可される人は数少なく、その間政府が指定する難民申請者センター(国内の数十カ所)に滞在する.ほとんど出入り行動自由で3食とまともな部屋と僅かなお小遣いが渡される.申請却下になるとそのセンターを出なければいけない.何度も(新しい証拠が出てきた場合)申請できるが、そのまま自国に帰れるような人はまずいない.では残りの人々はどうするかというと、ベルギーか周辺の国々に不法滞在することになる.強制退去となるのは年間3千人前後だそうだ.難民申請却下の不法滞在者にはある程度、国は目を瞑るということをしている.ベルギーにはそのための興味深い法律がある.それは不法滞在者の人権を守るための法律でもある.ベルギーの学校(もちろん完全無料だが)は住民登録をしていない子供達の受け入れが義務付けられ、その学校の校長や職員はそのことを警察に通報してはいけない.フランスで問題になった「ジプシー」の子供達も受け入れることも含まれている.そして病院は緊急の病人やケガ人は住民登録や保険がなくとも差別なく、無料で治療を施す義務がある.同様に警察への通報は犯罪になる.これらは、世界人権宣言の基本的人権を守るという共通の聖典が基になっている.

日本では、法律や憲法や国際規約などよりも「義理人情や絆」を優先させる.世間体や空気を読むこと、建て前と本音、社会の書かれていない掟、曖昧が美徳、基本になる聖典が無いという状態で、どのように社会を変え進歩させられるのか、私には想像できない.

建て前(法律)では、労働時間は一日8時間、週に40時間という上限が定められているそうだ.果たしてそれを忠実に守っている企業はあるだろうか?
年間2000時間を可能な時間外労働としているのは、大企業の住友不動産だそうだ.法律で定められている労働時間の上限を2千時間オーバーさせても司法は罰することをしない.ベルギーの場合、週37時間が上限で時間外労働は認められていない.時間外労働を一年で15時間すると法律で厳しく罰せられる、労働者と雇用者両方ともだ.週に1時間の労働上限オーバーがあると、人事課から注意が来る.

だれも守らないことが前提の法律を作る国が他にあるだろうか、法律とは世界に対しての体裁なのか・・・このような官僚や政府が国際規約や条約を守るとは到底考えられない.

ほぼ単一民族だと自負する国家で「共有する聖典」がない.それぞれが支離滅裂な愚痴と批判ばかりしている.そういう実態を傍から見ていると、協力すればすごい変化が生まれそうなのに、反対にお互いの足の引っぱり合いをしている.多分日本とは巨大な村なのかもしれない.

私が小中学生のころ、先生達は戦前戦中を経験し、戦後の民主主義を追求する情熱に燃えた大人達だった.そして「人間はみな平等であるから世界の人たちと仲良くしなければいけない.これからの日本人は地球が舞台だ」と教えられた・・・

Noro153+EN2012-03-11


それから何十年も経ち、気がつくと日本は第二の鎖国状態.残念ながらマスコミや官僚は日本人を外に出さないためにあらゆる手だてをして「外国は怖いところ、外国は汚い、日本文化は世界一・・」などのプロパガンダが浸透し、人々は知らない外国を見る気を失ってしまったのかもしれない.

311の原発事故後1年経ちボチボチ海外へ行きたいというツィートを見るようになったので、お金が無くても海外へ行く方法を紹介する(とはいっても航空券分と少々のお小遣いは用意した方が良いが).

私は、大部分の日本人が考えるより世界の進化変化は早いと思っている.例えば、この情報を見て日本ではすぐに「金儲け」を考える人が少なからずいると思うが、もうそれは止めてほしい.他人より金持ちになることが、重要である時代はもう終わりつつある.更に言うと、カネ中心の資本主義はすでに古くさいことになっている.それにカネで幸せになれると思う事が非常に古くさい過去の事だ.居心地の良い住処と健康的な食事ときれいな空気と水と寒くないだけの衣服があればそれで良いし、自由と人権が守られ(インターネットは人権の一つだと思っている)知る権利、勉強する権利が必要なのであって、おカネではない.そして、地球に生きる人間の一人として文化や芸術やスポーツなどを楽しめる社会と仲間がいて、情熱を注げるやりがいのあることをやって、さてそれ以上なにが必要なのか・・・?

私の提案はまずボランティアで(日本の組織などを経由せずに)世界へ出る事.
ボランティアの職を紹介する組織もピンキリ.純粋なボランティアを募集するところから、旅行社で海外旅行へ行くような高い費用を要求するところまである.私は昨年ボランティアで南極へ行っていたので、その後ボランティアでアフリカかラテンアメリカへ行こう、と考えていた.そして沢山の組織のサイトを見ていた(そうこうしている内にベルギーの非営利団体のオファーを受けたので、実現は数年後になる予定だが・・・)

そして引受先も純粋な非営利活動からちょっと首をひねるような、カネ儲けじゃないの?みたいなところまであることを知った.主なボランティアの仕事は以下のように分類できる.

  • 自然環境保護・動物保護・動物愛護・海洋保護など
  • 学校・養護施設・教育・公私立学校・職業訓練学校など
  • 女性の自立支援・恵まれない人々の自立支援など
  • 農園・農業支援
  • 建設支援・修復支援・水道建設など
  • エコロッジ・グリーントラベル関係

少し専門的になると、人権擁護、難民救済、看護士、医師、などありとあらゆる職がある.そして暫くボランティアで経験を積み、有給職への移行も可能だ.

昨年私が狙ったボランティア職は二つ.一つはアフリカのマラウィの小さな町のコミュニティパソコン教室の管理.外国からの支援金で建物とパソコンが20台ほどと設備は整ったのに、教える人がいないという.もう一つはコスタリカのジャングルの中にあるエコロッジ(小規模宿泊施設).どちらも僅かな給料と食住は無料.マラウィは英語だから面白くないが、パソコンを教える事は興味がある.エコロッジはオーナーがドイツ人で欧州からの客がほとんど.スタッフは現地人なので、スペイン語の勉強ができる.他には、中央アメリカのどこかの国で日本人オーナーのオーキッド農園、トルコの地中海沿岸でウミガメと海洋保護、ネパールの孤児施設で子供の世話、インドの有機農場の手伝い、子供達のサマーキャンプ・・・

何千というボランティア募集があるので、それぞれの興味や情熱を持っている分野で探し、直接メールやスカイプ電話をすれば良い.いくつか実際に見てみよう.

このサイトは商業目的ではないまともなボランティア募集サイトだ.ラテンアメリカはここが一番信用できるが、何しろ数が多い.引受先のサイトが直接載っている.真ん中辺りには、家庭滞在や宿泊施設には料金を払いボランティアの仕事をするというシステムもある.ほとんどは都会でのボランティアだ.同じページの下の方にはアジアや世界のボランティアを紹介する組織のサイトも出ている.

その他には:(食費など僅かな支出がある場合がある)
カンボジア http://www.volunteerincambodia.org/
ネパール http://www.volunteeringtolearn.org/
ネパール http://www.webnepal.org/index.php
ケニア http://www.vicdkenya.com/index.php
トーゴ http://www.pdh-togo.org/html/english/welcome.html
マラウィ http://www.btsfmalawi.org/
世界 http://www.go-volunteerabroad.com/volunteer-abroad-blog/volunteer-abroad-free/1637

料金を取る組織でも6ヶ月以上1年ぐらいの予定だと完全無料になる上お小遣いも貰える.要は沢山あるサイトを隈無く読むことが大切だ.
個人的にアドバイスできるのは、後進国ではできるだけ都会から離れた場所の方が良い.都会はどこでも犯罪があることや物価が割高だという事.語学に自信が無くても日本の語学学校へ注ぎ込むよりは、勇気を出して現地へ行ってしまう方が、お金の無駄使いをしなくてすむ.

その他に、若い人なら「ワーキングホリデー」でビザを取得し、欧州へ来るのも良いアイディアではないか?日本の若い友人にその話しをしたら、早速フランスのワーキングホリデービザを取得し、ベルギーへ来てしまった.数年前の話しだが、ベルギーと日本にはそのシステムはなかったが、ドイツやフランス、オランダなどへのワーキングホリデービザを取得(欧州内どこでも有効になってしまう)ベルギーに滞在できる.その友人はブリュッセルで良い男性と出会い結婚し今でもベルギーに住んでいる.失業者が山ほどいるベルギーでさえ、夏から秋にかけては収穫の手伝いが足りなくて、テレビでもラジオでも求人をしている.女性なら住み込みのお手伝いさんが出来る.フランス語学校の友人、ルーマニア人は住み込み3食付き、土日完全休み、週二回午前中の語学学校に通って900ユーロを貰っているという.

最後に:
「日本語を使ったなにか」というのを忘れた方が良い.
後進国の人々に日本式を教える」ことも忘れた方が良い
英語は中学高校の知識があれば、後は現地で慣れる方が早い
英語ができるのなら、他の言葉を使う国へチャレンジしてみては?
外国に滞在する事を日本のだれかに自慢するために移住するならそれは忘れた方が良い
「日本と比べて劣っている」とあら捜しするために行くなら行かない方が良い
安い有料のボランディアもすべて悪い訳ではない.一日4時間働いて語学学校へ行って・・・
全てのボランディアILOの国際規約に準じた労働なので、一日8時間を越える事は無い.
建設工事などの期間限定以外は週に必ず2日間は休み
ほとんどの仕事には年齢制限がない

1999年に浦島太郎状態でベルギーから日本に戻ったころ、丁度欧州でユーロを導入することが日本でも大きな話題になっていた.日本では欧州のことを「ヨーロッパ」というので、私が「ヨーロ」と言っていたら、何度となく訂正され「一体だれが欧州の通貨の名前を『ユーロ』と決めたのか?」という疑問を投げかけた.

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まだ1999年には「ユーロ」と「ヨーロ」と両方見かけたが、ある人に寄ると朝日だか読売の大新聞が「ユーロ」としたので、それで定着したとか・・・欧州の言葉では欧州のことを「europe, europa」と書くので、その最初の4文字をとったのが通貨の名前になった.だから「ヨーロッパ」と発音するのになぜヨーロではなく、ユーロなのか、今でも不思議に思う.

日本には他のほとんどの国にあるような「言語を決定する機関」がないという.「世間一般がそうなら、それが正しい」ということのようだ.その時の権力や大多数(世間一般)が常に正しいのだ.もしある人が「近頃の若者は日本語さえまともに使えない」と言って、そのある人の地位が高ければ高いほど、知名度があるほど世間一般は「なるほどそうなのか」となる.私は「では、正しい日本語とは?それはだれが決めるのか?」という疑問が湧くが、私のような疑問を持つ人はほとんどいないようだ.

横浜のど真ん中で生活していたので、自転車の無謀運転が非常に腹立たしく、数回に渡りその辺にいたお巡りさんに「自転車は歩道を走っていいのか、車道を逆走しても許されるのか、一方通行の道を逆走または十字路で一旦停止しなくて良いのか」など質問した.「自転車に関してはちゃんとした決まりはないんです」という答え.ある時、両方とも一方通行の角にあった私の店の窓から、数名の自転車に乗った警察官が通ったので、すぐに外に出て一人の警察官に怒った口調で「自転車は一方通行の道を逆走して良いのですか?」と言ったら、その警官はすぐに無線で先に行った数名の警官に連絡、全員自転車から降りた.自転車走行の法律がない割に、自転車が起こした多くの悲惨な事故を見聞きしていた.

ウィキペディアに寄ると「日本では労働基準法32条第1項により週に40時間まで、同条第2項により1日8時間までと、労働時間の上限(法定労働時間)が定められている。」というまともな法律が有るらしい.しかし、それを守っている雇い主がいるという話は聞いたことがない.それどころか月300時間とか400時間働くことが自慢になったり、強いられたりしているらしい.その長時間労働で精神病になったり、自殺してしまったりという話は日常茶飯事だ.有給休暇も「周りが有給休暇を取れるような雰囲気ではないので」取りにくいという.ベルギーの場合は、法律で決まっていることを守らないと「犯罪」となり、罰則が厳しい.雇い主は労働者を最大限活用しようとする.そして労働者は弱い立場にいるので、必ず間に入る機関があり、両方に労働法を守らせる.現在週に37時間労働が法律で定められた労働できる時間だ.(週に1時間以内の超過、月に3時間、年に15時間までの残業は認めるが、それ以上は違法になり両方とも罰せられる)

昨日、フェイスブックの知り合いが書き込んだ「神奈川県警」のポスターにショックを受けた.明らかに「外人嫌悪、外人差別」を公然と表現している.世界でも有数の大都市の都知事が、外人差別や女性蔑視の発言をしても罰せられない.日本は人種差別撤廃に関する国際条約に加入している.しかし、国連人権委員会の調査では、

「日本には人種差別と外国人に対する嫌悪が存在し、それが3タイプの被差別集団に影響を及ぼしていると分析しています。その集団とは、部落の人びと、アイヌ民族および沖縄の人びとのようなナショナル・マイノリティ、朝鮮半島出身者・中国人を含む旧日本植民地出身者およびその子孫、ならびにその他のアジア諸国および世界各地からやってきた外国人・移住者に分類しています。
  特別報告者は、そうした人々が日本で直面している人権問題を明らかにし、以下のような勧告を行っています。(1)日本における人種差別の存在を認め、かつそれと闘う政治的意志を表明すること、(2)差別を禁止する国内法令を制定すること、(3)人種、皮膚の色、ジェンダー、世系(descent)、国籍、民族的出身、障害、年齢、宗教および性的指向など、現代的差別における最も重要な分野を集約した、平等および人権のための国家委員会を設置すること、(4)歴史の記述の見直しおよび歴史教育のプロセスに焦点を当てること、などです。」


この10ヶ月間、散々政府と東電の原発事故処理対応の酷さを目にした.もし、これが EU内であれば、書き記してある法律で処理がなされ、人権を無視した対応はあり得ない.しかし、日本政府は明らかな憲法違反(基本的人権無視、検閲をしている・・)をしているが、だれもそれを指摘しない.この10ヶ月で問題は解決方向へ進展しただろうか?

日本に居た11年間で、私が見聞きしたことから判断すると「法律とは、誰かを虐めたい時、権力の邪魔になるものがいる時に持ち出すもので、世間一般常識が最優先する.なので、権力や力の有るものが決めた世間一般常識から外れるものはスケープゴート又は村八分」になる.ホリエモンの件や小沢一郎の件、外人差別、女性蔑視などを見ると明らかだ.

文面として書いてある法律や憲法よりも「曖昧、ウヤムヤ、世間体、ナアナア、建て前、義理人情、学閥、世襲、伝統、絆、繋がり」という社会的慣習が優先する社会で「自由と民主主義」が実現可能だろうか?というか民主主義の概念や人権の意味や法律は守るべきであることをも教えない学校教育.どうせだから、民主教育や文面としての法律制定やそれを守るという西洋思想は、日本の伝統とは相反することを正式に宣言し、独自の道で「繁栄」してはいかがだろうか?

日本ではこの10年ぐらいでタケノコ山のようにNPO法人が増えた.起業のための簡単な近道としてのNPO法人、と考える人も多いのではないかと思うほどだ.

Noro153+EN2012-01-01


しかし、私が実際に良く知っていた横浜の幾つかのNPOは、何となくみな如何わしい、と思わざるを得ない雰囲気を醸していた.情熱を持ってやるというより、「助成金やカネ目的」で、やることすべてがインチキ臭い.と思っていたところ、最近こんな記事を読んで、私が感じたことも満更間違っていたわけではなかった.まともなNPOやその他の非営利団体も沢山あるだろうが、印象として「インチキ」というのはとても残念だし、またここにも日本独自の隠蔽、インチキ工作、利権、法律の抜け穴、助成金詐欺などの温床が・・・

ネットで「朝生」を見た.もし福島原発事故のようなことがここベルギーで起っていたら、あのような議論にはならない.ベルギーの社会構造を考えつつ見ていて、その違いを考えてみた.

ベルギーが541日間に渡り、無政府状態(ギネスの世界記録)であった時も「国民生活がとても巧く回っていた」のは、ブリュッセルだけで5〜6千以上あるであろう非営利団体と4つある地方行政が大変良く機能しているから、と言っても過言ではないと思う.

ベルギーでは政府や行政の手が回らないあらゆる分野を、非営利団体が代わりに責任を持ってやっている.多分日本でもそのような役割を持った非営利団体はあるだろうが、ベルギーではそれが浸透しとても巧くいっている.世界でもトップクラスの福祉国家と誇れるのもNPO非営利団体が大活躍しているからだ.ほとんどの非営利団体は社会でも信用され、尊敬される存在でもある.役人が「お役所仕事」でやるより、そのことに情熱を持っている人たちがやるのとでは結果として大きな違いが出る.

以下の統計はネット上で見つけた数年前のものだが、ベルギー、オランダ、アイルランドなどと日本の非営利団体のある程度の比較が出来る.

この統計が示すように、公益非営利団体は税金や様々な財団などからの資金援助を主な収入源としている.

最近このような公益非営利団体で有給職員として仕事をするようになり、詳しいことが解ってきた.その非営利団体は主に承認された難民の面倒をみるための団体で、有給職員100名、無給ボランティア50〜70名ほどで成り立っている.私の給料も別機関が9割、その団体が1割を出している.ある同僚は半分をフランス語圏政府が出し、半分は1年契約でその団体が出した.70%ほどの職員は何らかの別機関から給料が出ている.団体の総収入の85%は、幾つかのEUの機関、ベルギー中央政府ブリュッセル政府、フランス語圏政府、オランダ語圏政府などの公的機関からの助成金.残りは個人や別の非営利団体などからの寄付がほとんど.ボランティアと言ってもリタイヤしたEUの職員、国連難民高等弁務官事務所にいた人だったりと難民問題に情熱を持って取り組んでいたり、人権問題をやっていた人だったりととても意識の高い人々が真剣に働いている.

ブリュッセルには「難民」関係の非営利団体がいくつかあり、それぞれが難民問題に関して違う仕事をしつつ、連携し協力し合っている.国連難民高等弁務官事務所シレ(フランス発祥の難民の人権を守る)欧州難民救済事務所アムネスティインターナショナル、外国人の人権を守る会、欧州人権同盟等少なくとも25の非営利団体と協力連帯している.ベルギーは毎年2万近くの難民申請があるが、承認されるのはその内2千数百人(何度か再申請が許可されている.未承認難民については別団体の管轄だ)

私が仕事をしている「コンビビアル・共存」という団体はその中でも実際に難民の生活福祉などに特化し、様々な講座を開いたり、食糧銀行、家具や生活必需品、衣料の無償提供、仕事探し、アパート探しなど全ての援助を行なっている.約3千平米もある建物は電力会社が使用していたもので無料で使わせてもらっている.無料にすることでその電力会社はかなりの税金が免除されている.巨大な家具置き場、舞台のあるイベントホール、難民問題を一般の人々に紹介する為の展示室、パソコン教室、木工所、各種教室、外には有機野菜の小農園施設まである.例えば展示室は上記シレの資金援助で実現.食糧銀行はEUからの支援物資で賄う.パソコン教室の設備はパソコンの普及に特化した別の非営利団体からの寄付.というように沢山の組織が複雑に絡み合い協力し合っている.


私の部署は、文化と広報.様々なイベントを考え難民をベルギー社会に馴染ませ、同時にベルギー人に難民問題を知らせること.3名でこの仕事をしている.二部屋続きの別室には二名が「ベルギー生活」のすべてを教える講座を主催している.実は生まれて初めて普通のサラリーマン生活を高齢になって始めたが、やっと天職にであったような感じだ.ベルギーには人種差別、性差別、年齢差別などが一切ない、というか法律で禁止されている.だから私のようにすでに高齢にはいる人間も若い人たちと同じ土俵にたてる.(有利だったことは二つ.一つはシーシェパードで反捕鯨活動をしたこと.もう一つはMacでデザインや紙面構成などが得意なこと)

さて、日本はあらゆる分野で腐敗、汚職、ねつ造、癒着、偽装などが簡単に行なわれているが、ベルギーは法律やルールは絶対に守るし、守らせる仕組みがしっかりしている.例えば、別の非営利団体があり、そこから社会の弱者用のチケットが送られてくる.「Article 27」という名前のチケットで、難民はこれでまずほとんどのブリュッセルの映画館、演劇、美術館、博物館、コンサートやイベントに€1.25、約125円で入れる.この「Article 27」という名前のチケットを発行することだけをやっている同名の団体は、世界人権宣言の第27条:

1. すべて人は、自由に社会の文化生活に参加し、芸術を鑑賞し、及び科学の進歩とその恩恵とにあずかる権利を有する。
2. すべて人は、その創作した科学的、文学的又は美術的作品から生ずる精神的及び物質的利益を保護される権利を有する。

だけを追求し、実践している.それぞれの文化施設や文化団体などと交渉し、弱者(難民だけではなく、彼らが認定した全ての弱者)が月に最高2回好きな時に好きな文化を楽しめるというシステムを作り出した.これはベルギー中に広まり、小さな町でも同様に安い値段で弱者が文化を楽しめる.数ヶ月前まで、毎月分厚いリストを乗せた冊子を出していたが、数が膨大になりネット上だけになった.チケットは一月間有効なので、仕事を始めたばかりのころ、余ったら貰いたい、なんて甘い考えを持っていたが、これは不可能であることが解った.まず印刷されたチケットだけでは有効ではない.欲しい人は半切れに名前を書き、こちらはバーコードのあるスティッカーをはり、担当者がサインをする.そしてパソコンにすべてを登録する.

ある時同僚が考えた「ベルギー人と自然科学博物館へ行こう」というイベントに同行した.20人ほどの難民はこのチケットでそれぞれ125円を払い、自由参加のベルギー人は普通に自分の入場料を払う.私と同僚の普通の入場料(各約800円)は経費で払われた.要するに私たち関係者さえも使えないようになっている.「Article 27」の団体はそれぞれの文化施設からそのチケットを回収し、どこの団体がどれだけ、同一人物が月に何度使ったかなどをすべてチェックし統計としてまとめる.そこには一切のインチキができないようになっている.見事だ.

もう一つ「法律やルールは絶対に守る」という話.
ベルギーは週37時間が法律で決められた(許された)フルタイムの労働時間だ.我が組織としては金曜日は13時に建物全ての鍵をかける.週に4日半働く.朝は8時から9時の間に到着し、午後5時から6時に退社する.朝の8時前に出社した分、午後6時以降の労働.昼食もカウントされない.カードをかざすだけのデジタル化で、出社時間などが自動的に中央のコンピューターに登録される.37時間という労働時間は週に1時間、月に3時間以内のプラスマイナスは許されるが、一年で15時間以上のプラスがあると雇い主と雇われている人、両方ともが罰せられる.「これだけは充分に注意し守ってくれ」と最初の日に言われた.人より長く働くから偉いとか、5時に一番先に退社するから怠け者とかいう感覚は一切無い.短い限られた時間にすべてをやるので、こちらの人の効率の良い働き方は、ベルギーの会社に入らなくても良くわかる.

「コンビビアル」が密に関係を持っている別の非営利団体は、ベルギーの憲法23条「ベルギー国内のすべての居住者は人間としての尊厳を守られる暮らしが保障される.そのために適切な場所に住む権利がある」ということを基盤に活動している.「コンビビアル」はある匿名者からの寄付を基にブリュッセルに7アパートが入る建物を持っている.ここは原則6ヶ月間を限度に経費だけで難民を住まわせている.この間に一般のアパートを捜す手伝いもするが、この「住居に特化した非営利団体」がとても協力してくれているという.因みに我が団体所有の建物を見にいったが、素晴らしい建物で内心「こんな贅沢な場所に・・」と感心した.日本のドヤなどは「憲法違反」になってしまう.

私の仕事場は3千平米もあるので、いくつもの空っぽの部屋もある.緊急事態の時には数百人が寝泊まりできるようになっているという.そしてそのような緊急時には、ベルギーの赤十字(一番古い非営利団体)やいくつもの非営利団体がそういう緊急時に寝泊まりさせる場所を確保しているので、協力体制が出来ている.

ブリュッセルにある19区はそれぞれ非営利団体が区内の困っている人々にあらゆる生活の手助けをしている.ある時に知り合った女性が私の住んでいる区でその非営利団体で仕事をしているので、詳しく教えてもらった.主に高齢者、身体障害者への手助けだが、区内ではだれでも利用できるという.掃除、電球取り替え、引っ越し、買い物、などの細々したことに対応する.社会の弱者たちにはほぼ無料、一般の人々には安い価格が設定されているという.このように利益追求企業と真っ向から対立するような団体も沢山有る.

市民の生活に関するありとあらゆる分野のきめ細かな専門の非営利団体が5千以上あり、それぞれ、その専門分野の達人が憲法、法律、条例、国際条約などを基盤に市民の生活をより良いものにするために働いている、動物の権利も同様だ.だから、昨晩発言した被災者の「だれの言うことを信用してこの先どう行動したら良いのかわからない」ということにはならない.

数ヶ月前に偶然に会話したベルギー人の自称ホームレスに「ベルギーのシステムでホームレスになるのは不可能なはずなのにどうして?」と訊ねた.そのインテリホームレスは「この社会システムそのものに反対だから」と答えが返ってきた.彼の言う社会システムとは「貨幣システム」を指していた.自ら社会システムを拒否し、IDカード(市民生活の基本、日本の住民票)を取得できるのにしない反社会的な人たちの面倒を見る(面倒を見られることを拒否している場合が多いので、気付かれないように配慮しつつ)非営利団体も数々ある.

私自身は動物愛護と環境問題は、人権と同様に昔から興味ある.ベルギーでは動物の権利を守らせる非営利団体が数多く有り、とても信頼できる存在だ.特別に注意しなくても動物は虐待されず、権利も守られている.この10年で肉の消費が3割減ったという事実や少し前に議会が決めた新しい動物の権利の条例が今日から施行された.サーカスなどで象を飼う場合、今までは100平米の専用地が必要だったのが一気に最低1000平米になった.年末からブリュッセルの中心部で公演をしているベルギー屈指の歴史あるサーカスも12月31日の象の曲芸を最後に象は動物愛護団体に引き取られることになった(テレビのインタビューでオーナーが「最後にお願いしたいのはその象を国外に出さないでほしい.時々会えるように」と訴えていた)このような細かな法律が制定されるのも情熱を持って活動している動物愛護団体のお陰だ.日本では10月末に決まった「ペットショップの幼動物の深夜展示販売禁止」が施行されるのが6月だと言う.なぜ施行までそんなに時間が掛かるのか?
(日本とベルギーの大きな違いの一つに緊急対応のスピードがある)

311の地震津波原発事故から後10日で満10ヶ月が経とうとしている.ネット上では経緯をずっと追いかけていたが、昨晩の「朝生」で改めてびっくりさせられたことや、こちらだったらあり得ないことは:

・被災者が自分で判断し、地元に留まるか移住するか決める.その選択があることで、対立が生まれている.専門家達の意見が様々でどれを信用するかは被災者自身.
・農業・漁業関係者は何の補償もされていない.
・東電からの補償は、大変複雑な資料を提出しなければいけない.
・国も地方自治体も被災者達に何の連絡もしなかった.政府とメディアは最初「爆発していない、放射能も出ていない」と言い、防げたはずの被爆をさせた.マスコミは最初に逃げた.
放射線を計らずに「安全です」と宣言.そして外国に渡ったお茶やミルクなどから汚染が出てしまった.初期には計測することを禁止した.世界ではもう日本政府は信用されていない(上杉氏)
・上杉氏の「国、東電、行政は今後も絶対に裏切るので、被災者は必ず生活メモを残せ」「マスコミが真実を報道しなかったことは犯罪だ」などの意見の都度に、田原総一郎は遮り反対意見を言った「日本の原発技術は世界最高である」
福島県民は政府や東電に騙されたと思っている.
・検察は原発事故の責任を追求していない

長年に渡り積み上げられ、時代により修正されてきた条例、法律、憲法や調印している国際規約などに則り、社会が成り立っているベルギーでは、昨晩の「朝生」のような討論は行なわれないはずだ.「条例や法律でこうなっているので・・」と速やかな対処が行なわれ、それぞれの地方行政や関係非営利団体が最善の方法で動く.まずい個所が見つかれば、法律などのルールは修正される.先日のベルギー南部の町での「拳銃乱射」事件の対応を見ていても、それは解る.ベルギー(EUも同様)は「基本的人権を守る」ことが最重要であるとされる.そのための法律や条例がびっしりと有る.だから、そこには抜け穴はない.テクノクラートと呼ばれる思想や感情を除いて、沢山の社会のルールを基に「科学的」に判断し、動く官僚や地方行政、そして非営利団体がこの国を動かしている、と理解している.一番重要なことは、汚職やねつ造や偽装などの抜け穴ができないシステムになっていること.

この社会から日本を見ると、野生の社会のように見える.憲法や法律、条例や調印している国際規約などは「立て前」で如何様にも解釈する.アヤフヤで霞が懸かっている.法律やルールより、義理人情が優先する.そして、人々の生活や幸福より企業が優先する.その上、ジャーナリズム精神を持っているマスコミは皆無.

横浜で飲食店を経営していたころ、数名の30歳前後の若者達に「なぜこの国はだれも法律を守らないのか」と訊いた時「えっ、法律って守るものなんですか?破るものだと思っていましたよ〜」と即答された.そしてベルギーの話をしたら「そんなに沢山法律や条例を作ったら、自由がなくて窮屈じゃないですか?」と訊かれた.私はペット産業のような動物虐待や福島の被災者を含めた何かの被害者たちの泣き寝入りの話を聞きたくない.ホームレスや行き場の無い若者達の自殺やイジメの話も聞きたくない.そういう社会の底辺にいる人々や声を挙げられない動物という弱者を徹底的に守ろうとする社会(例えばここベルギー)の方が「本当の自由や人や生き物の尊厳」が大切にされ、ひいては幸福へと繋がると思っている.

多分沢山の人々は「普通に働いて、普通に生活したい」と思っているはず.そういう「普通」の生活を守る為に法律があり、政府や官僚の暴政を阻止するために憲法が有るのではないだろうか.

文化はある時期の文化が最高だからこれで止めてそれを「伝統文化」とする、と言ったことがあるだろうか?捕鯨とイルカ猟に賛成する人たちの多くは「日本伝統の文化」だからこれからも継承していく、と主張する.そして捕鯨やイルカ猟に反対すること自体が、反日であり、日本文化を守るために対抗しなければいけない、という意見をよく聞く.

Noro153+EN2011-12-11


もし、南北アメリカ大陸が現在でも黒人やアジア人を奴隷として、使っていたら容認できるか?(権力者にゴマをすって自分だけは権力者に優遇してもらう努力をするか?)もし、ニュージーランドの原住民が「伝統文化だから人肉を食する」ことを現在でもやっていたら?もし、南アフリカアパルトヘイトが現在でも続いていたら?もし、ローマ帝国の奴隷とライオンの闘いが「伝統文化」として続いていたら?カリブ海やアフリカのブードゥーや他の土着宗教の残虐性が「伝統文化」として許されていたら?キリスト教が中世にやっていた魔女狩りは正当化できるか?もし、上記のことが現在でも実行されていたら、確実に世界が非難し、経済制裁やボイコットをして止めるだろう.

人や動物の命と関係ない文化でも、もし今、北斎と同レベルの版画を作る人が居たら(沢山居るだろう)その人は「最高の芸術家」として尊敬対象になるか?モーツアルトと同レベルの作曲家が居たら(モーツアルト風に作曲できる人は沢山居る)その作曲家の音楽は「最高の音楽」として心に残るだろうか?もう少し遡って、ラスコー洞窟の壁画と同じような絵を同じような現場に描く人々が「凄いアーティスト」だと見られるか?素晴らしい芸術を創作した人々は、常にその時代の異端者だ.新しいことで人をびっくりさせたり、人に勇気や生きる喜びを与えたから現在でも素晴らしい芸術として人類が共有している.(「新しいこと」と言っても、そこに残虐性がある芸術は非難の対象になり、刑罰の対象にもなるが)

人はすべてアフリカ大陸から来ている.(それとも日本人だけは、現在の日本国内で最初の生命が生まれ、国内だけで進化してきたのだろうか?)

アフリカ大陸の人を先祖とする人類は、誕生以来世界各地へ移動していった、現在でも動いている.どこまで歴史を遡って、その時に日本国内に居た人々の子孫だけが「日本人」として認められるのか?

ビーグル号で世界を回ったダーウィンは突発的な想像で「進化論」を発表した訳ではない古代ギリシャの哲学者が「生命は海で発生し、後に陸に上がった」から始まり、古代ローマ文化や古代イスラム文化に引き継がれた.古代イスラムの哲学者は「蒸気から水、鉱物、植物、動物、そして類人猿から人へと進む生命の発展」の歴史を書いた.ダーウィンの祖父は「全ての温血動物は一つの生きた糸に由来する」とした.そしてダーウィンの「進化論」は宗教からの迫害にあいながらも、次々に立証され、現在では「人は猿から進化した」ことを信じない人は特殊な宗教原理主義者だけだと思う.キリスト教は白人以外の人々は「人間ではない、または白人の下にいて白人に仕えることを神が定めた」こととして人種差別が堂々と行なわれていたのは、それほど昔のことではない.

この進化論(白人、黒人、黄褐色人全ての人が共通の先祖を持っている)とともに「人種差別は間違っている」ことに気付いた人々の長年の努力で、現在は世界のほとんどの法律や憲法で人種差別が禁止されることになった.世界では人種差別を良いこと、自然のことと考える(まともな義務教育を受けた)人はまずいない.

そして時代は進み、現在では「人間だけが地球を我が物顔で支配すること、人間以外の動物を資源として扱うこと、人間以外の動物を人間が搾取すること」等に反対する「種差別反対」のムーブメントがとても大きくなってきている.人間生活(企業)の利益のために他の動物の生活の場(森林破壊や他の自然破壊)を破壊すること、殺して食糧にすること、殺して毛皮や皮として装飾品などにすること、動物実験という残虐行為をすること、趣味や遊びとして他の生き物に対しての残虐行為(闘牛、闘犬、狩猟、サーカス、競馬、競犬、イルカショー等)などに反対し、このムーブメントが大きくなり次々に法律や条例などで動物の権利が守られ始めている.

人種差別と種差別は時代が違うだけで内容は同じである.昔、奴隷としてアフリカの人々を捕まえていた奴隷産業は、現在自然の中にいるイルカやクマや猿などを捕まえカネ儲けのネタにすることと同じだ、という考えだ.

オーストラリアのタスマニアに移っていった白人は、地元にいた原住民を奴隷として使ったり、狩猟という遊びの対象として殺していたので、何万年もタスマニアで生活していた人々(数万人)は白人が来て数十年で「絶滅」させられてしまった(強いものの言い分「原住民のほとんどは病死」というのを覆せた証拠は、タスマニアに居た軍人たちの「今日は何人の原住民を狩りで射止めた」というようなノートが残っているので)オーストラリアやタスマニアで他にも沢山の動物が絶滅したが、これを正当化する人はいない.アメリカ・インディアンも同様の状況だったはずだ.勿論中南米インディオや他の原住民も滅ぼされ、絶滅した人種も少なからずいる.

日本はどういう訳か「弱肉強食」の思想が一般的になって、弱者を守るとかということより、自分が如何に勝ち組(強者)の中に居続けるかということが最優先となっている.だから例えば、ホームレスが行政や人々からどう扱われようが、気にする人もいない.しかし、いつか自分も弱者の仲間入りすることになるわけで、弱者になってから声を上げても権力側は聞く耳を持たない.原発事故の経過を見ているとつくづく「弱肉強食」思想が丸出しになっている.「放射能汚染の食物で死んでしまうなら、それも自然の法則だ.放射能汚染に生き残るDNAを持っている人々だけが進化の法則で生き延びれば良い」というように思える.この「弱肉強食」の思想はいつか自分にも回ってくるし、はっきり言うと「自滅思想」でもある.

地球という限られた環境で、我先にと自然破壊や(動物を含めた)弱者から搾取し、最大限の利益を上げることは、回り回って必ずだれにでも降り掛かってくる被害だ.だから地球の環境破壊、動物への虐待や種を絶滅させることは、人類の絶滅へと続く.放射能や他の産業廃棄物で汚染された水を飲んで、汚染された(又はGMOの食物)を食べて生き残っていくDNAを持った人々だけ生きていくことが自然の法則として日本で認められているのか?

日本独自の問題はすべて共通の腐った根っこを持っている.捕鯨問題、原発問題、イルカ猟、弱者や外人迫害やイジメ、暴力団容認、義理人情、自殺、改ざん、ねつ造、偽装、賄賂、悪徳経営、悪徳官僚、秘密主義、政治家や専門家の技量不足・・・・ さてこれらの問題の腐った根っことは、民主主義を守らせるべき国民の技量不足、知識不足、そしてナアナアでウヤムヤの社会を肯定することから来ている.(更に言うと、民主主義や世界でより良いとされる教育がなされていないこととマスメディアの情報隠蔽にある)世界でより良いとされる思想が教えられ、メディアがまともなジャーナリズム精神を持っていたら、日本は今のようにはなっていないだろうし、今回の原発事故被害ももっと少なくて済んだはずだ.

日本の社会が全域に渡り腐っていることが解ってきて、私は日本を脱出した(2010年6月).一生住むつもりでいたから、その準備には2年近く掛かっている.いつか何らかの被害者になり、そうなったらだれも(社会)助けてくれない、被害者や弱者は泣き寝入りか自殺以外に道はない、という日本社会に絶望したからだ.

そして相変わらず、全世界の世論の反対にも関わらず、この21世紀に野蛮な行為「捕鯨とイルカ猟」が税金を使い公の事業として行なわれている.先に述べた南アフリカアパルトヘイトという人種差別政策に対し、国連を中心に世界中で協力し南アフリカを(文化、スポーツなどあらゆる分野での)ボイコット、経済制裁をしている時、日本は「名誉白人」であることを誇りにした.世界とは協力せずに自分たちを「名誉白人」にした南アフリカと仲良くした.再三の国連からの勧告も無視したので、とうとう国連は協力しない日本に対して経済制裁を施行するということを可決した.この結果表向きだけ、国連の決議に従い、南アフリカへの制裁を始めた.要するに最後の最後まで国際世論を無視した.最近起ったことは、温室ガスに関しても同様に最後までフロンガスなどを廃止しなかったのは日本だ.このように日本国内と日本の外では、全く情報が違っている.国内にいるといかにも「日本」は世界の一員として「みなと仲良く」しているように思うが、実は世界では国としては利己主義を最後の最後まで貫いている.多分戦前もそうだし現在でも同じだ.

その世界の動向からはずれている日本をどうするかは、日本人が考えれば良いと思う.私自身はすでに絶望したから日本を脱出した.現在の欧州並みの民主主義や人を人として扱うことや自由思想は100年しても追いつかないことが解ったからだ.

ただ、原発事故では全世界に迷惑をかけている.海を放射能で汚染することは全世界の海を汚染していることだ.捕鯨やイルカ猟は、全世界が共有している野生生物に対しての残虐行為であり、種の絶滅を助長していることでもある.韓国とロシアが共同で日本の周辺の海の汚染を調査することになったのは、日本政府を全く信用していないからだ.日本がカネを振りかざし、世界中のマグロを買い占め、またはマグロを殺しているのは、世界中に迷惑が掛かっている.EUが地中海のマグロ漁をいくら制限しても、日本が巨額を出すのでマグロの密漁があとを立たない、これは世界中で言えることだが・・

南極海は世界の人々が共有して、その自然を守っている.なぜ日本はそこまで行って捕鯨をしなければいけないのか?伝統文化として継続していくつもりなら、日本が所有する海域だけでやってほしい.(それでも残虐行為に反対する人たちは沢山いると思うが.スペインの闘牛は国内だけで行なわれていたが、世界世論に押されほとんどの自治州で禁止条例ができている)太地町のイルカ猟は「ザ・コーブ」という日本では右翼の妨害で上映できない映画が世界各地で沢山の賞を受賞した(受賞の数でギネス世界記録に登録されるとか)お陰で表面化し世界中に知られるようになった.イルカ肉を食することが「昔からの伝統」であるとし、水銀に汚染されたイルカ肉を食べ続けることが、良い国民なのか?今ある「放射能汚染の野菜を食べて」福島を助けることが、良い国民なのか?岩手県太地町の10倍の数のイルカを殺しているし、静岡でも現在でもイルカ猟が続けられている.その伝統の食文化を残すとしている町のイルカから得る売り上げの8割は生きたイルカを世界中に販売することからだ.200年前に生きたイルカを外国へ売った伝統でもあるのだろうか?

どこまで昔に戻り、その時にやっていたことを「伝統」というのだろうか?世界で一番伝統を打ち消し、西洋に追いつけ追い越せとやった社会が今更「鯨肉やイルカ肉を食することは伝統文化だ」と言えるのだろうか?そう言う人々はなぜちょんまげを結っていないのか?そういう国の天皇はなぜ西洋の生活様式なのか?なぜ昔ながらの方法で昔ながらの機材を使い捕鯨やイルカ猟をしないのか?鉄の最新鋭の船で最先端をいくハイテク機材で野生の動物を殺すことがどんなに卑怯なことか、なぜだれも感じないのか?どこまで歴史をさかのぼり、その時に現在の日本とされる国の中にいた人々の子孫が「日本人」なのか?

世界は恐ろしいほどの早さで動いている.欧州は独自のEUを作り上げることに全力を上げているが、私には賛同できる方向だ.私がなぜ日本語でこんなブログを書き続けているか・・・自分でも疑問を持ち始めた.最初は日本の友人知人に「目を覚まして」という思いだったが・・・もう実はどうでも良くなっている.私は地球市民としてベルギーで生活し、仕事も始めた.この国(社会)が「何が起ろうが絶対に私を守ってくれる」という安心感は裏切られていない.なにかの宗教(例えばオーム)にはまり込んでいる人をそこから離れさすのはほとんど不可能であるのと同様に「日本を信じきっている人々」に日本政府は嘘つきで日本社会は尋常ではない、と言っても聞いてはもらえないし、それにどういう価値があるのか?オーム教を信じている人々が外の人たちに迷惑をかけたら、制裁という方法がある.国内ならそこの法律で罰することが出来る.日本政府が外へ行って悪いことをしたら、国際社会が制裁をする.それが戦争という形になるかボイコットになるか・・・ 現実には「日本製品ボイコット」は市民レベルでは全世界に広がっていることも日本人は知らなければいけない.

右上の写真は、昨年、私が乗っていたシーシェパードの船「ボブ・バーカー」で捕鯨船団の母船がチリ海域に入り、私たちがチリ政府にそれを知らせ、様々な証拠を送った.すぐにチリは海軍の船を出し、遺憾の意を表明.日本政府に対しても警告した.その時に母船日新丸がすぐにUターンをしたレーダーの証拠.もし日新丸がチリの警告を聞かなかったら、船は没収、乗組員は全員逮捕、そして国際的な政治問題に発展したはずだ.今年は捕鯨シーズンが始まったが、日新丸の重油南極海域では今シーズンから禁止になっている.その海域に行くだけで違法だ.ということも知りながら強行することは、何を意味するのだろうか?

先日やっと日本の18の市民団体やNGOが共同で捕鯨を見直すよう野田首相と声明文を出したが、日本のマスメディアは取り上げない.

以下12月1日付けの声明文(プレスリリース):
http://www.greenpeace.org/japan/ja/news/press/pr20111201/

南極海における調査捕鯨の抜本的見直しを

内閣総理大臣 野田 佳彦 殿
農林水産大臣 鹿野 道彦 殿
まもなく、クジラ捕獲調査(調査捕鯨)のために、日本鯨類研究所の調査捕鯨船団が南極海に向けて出航する予定とみられます。今年の南極海における調査捕鯨開始にあたり、私たち日本のNGOは、以下のことを日本政府に求めます。
1. 南極海におけるクジラ捕獲調査(調査捕鯨)の抜本的見直し
2. 事業への来年以降の補助金投入の廃止
3. 第 3 次補正予算において「鯨類捕獲調査安定化推進対策」として日本鯨類研究所へ追加投入されることとなった 22 億 8400 万円もの補助金の詳細な支出用途と支払先の公表
日本の調査捕鯨は、その科学的な根拠や合意形成の不十分さ、国際法で決められたサンクチュアリ内での捕鯨に対する批判があり、去る 7 月に答申された調査捕鯨に関する検討委員会の中間報告の中でも、縮小/停止という少数意見が書き込まれています。
また、近年は、鯨肉の国内需要の減少により、鯨肉在庫の増加が顕著となっています。そのため、2011 年 2 月には調査捕鯨船団が、その経営悪化から事業費推定 30 億円のうち 19 億円もの負債を抱えていることも明らかになりました。
さらに、国内の元商業捕鯨企業が南極海での商業捕鯨再開を行わないと宣言していることからも、日本政府が事業の目的として掲げている「商業捕鯨の再開」は誰の目にも非現実的であることは明らかです。
このような事業に貴重な税金を使うのではなく、未来世代のためにも沿岸地域の再生、被災者の支援等、今、本当に支援が必要なところに向けて下さること、さらには、国際的に定められた南極海サンクチュアリの精神をまもり、海洋国家としての責任を果たせるよう、調査捕鯨事業の抜本的見直しを心からお願い申し上げます。
以上<賛同団体 18 団体 2011 年 12 月 1 日現在>
あしたへの選択/Choices for Tomorrow (CFT)
アジアの浅瀬と干潟を守る会
IFAW(国際動物福祉基金)日本事務所
イルカ&クジラ・アクション・ネットワーク(IKAN)
海の生き物を守る会
オルカラボ・サポート・ソサエティ(OSS)
化学物質問題市民研究会
京都水族館(仮称)と梅小路公園の未来を考える会
国際環境NGO グリーンピース・ジャパン
シャチ・ドット・ジェイピー(shachi.jp)
ジュゴン保護キャンペーンセンター
NPO法人 地球生物会議(ALIVE)
ツキノワの会〜人と野生動物との共存を考える〜
NPO法人 トラ・ゾウ保護基金
日本環境法律家連盟(JELF)
NPO法人 日本消費者連盟
バイオダイバーシティ・インフォーメーション・ボックス
NPO法人 ラムサール・ネットワーク日本
<賛同個人>
草刈秀則(野生動物保護学会会員)
佐久間淳子(自然の権利基金/ジャーナリスト)
富山洋子(NPO法人 日本消費者連盟
羽後静子(UNBD市民ネット共同代表)
星川 淳(作家・翻訳家、一般社団法人act beyond trust事務局長)
村瀬俊幸(UNBD市民ネット事務局)