もし、日本教という新興宗教が存在するのであれば、それですべてが説明できるのだが・・・

Noro153+EN2011-10-10


日本で、しっかりと自分の意見を持って、それを貫く人々(有名人、凡人とも)に遭遇することは、非常に稀である.昔はそんなことはなかったと勝手に思っているが・・・

日本のメディアが情報操作や誘導をしているのは、この半年で明らかになってきたが、モラルリーダー(有名人や評論家など)と言われる人々の支離滅裂さ、信念のなさはどう扱えば良いのか・・・?

私は外国生活が長いことが理由なのか、割と批判的に(世界の)テレビに出る人や有名評論家たちを見る癖がついている.それでも久々に日本に戻った頃、日本にもこんなに世界的視野から物事を見ていると感心した人が寺島実郎という評論家だ.そしてネットから5冊の著書を購入.当時問題になっていた、中東問題に対して実に的確に話をしていたことに驚かされた.しかし、ある生番組で中東問題、イスラエル批判の討論をし、番組最後に司会者だった田原総一朗だったか「在日イスラエル大使館から抗議電話があり、イスラエルの人々にとって不快な内容だったことを深くお詫びする」という内容で参加者全員で謝罪、そしてその後全く中東問題の討論は行なわれなくなった.そして寺島実郎さんも当たらず触らずの意見しか言わなくなってしまった.

寺島さんのことは昔のことで、あまり思い出さないが、去年の春頃別のモラルリーダーの発言に「この人は凄い」と思った人がいる.日本にまだいる頃で、ツィッターのRT(自分がフォローしている人の言葉、ツィートを再度流すこと)で知った茂木健一郎氏だ.そのころ彼はツィッターを始めて時間が浅く、「日本に革命を起こす」という強いリーダーシップ的言葉で毎日フォロワーを増やしていた.「日本人全員がストックホルム症候群の被害者である」とし、メディア批判、教育システム批判、官僚批判などを展開していた.私がずっと感じていた「日本は第二の鎖国をしている」ということと共通するので、彼を注意深くフォローし、ブログを読んだり、ネットからポッドキャストをダウンロードしたり・・・.「日本の社会構造の中で人質として生き延びる為に、犯人(権力)を肯定するようになってしまった」という理論だ.以下茂木健一郎氏のブログから:

日本人は、日本という社会の文脈に巧みに適応することで生きて来た。

早い場合には、小学校に入る前から始まる「受験戦争」、「有名大学」という限られた「クラブ」に入るための競争、そして、大学三年の秋から始まる就職活動。

生真面目な日本人たちは、与えられた「ゲームのルール」に従って、一生懸命つとめてきたのである。

そのような、精緻に張り巡らされた「文脈」に適応することで、適応してきた日本という「生態系」の大きさが、縮小しつつある。日本人の生真面目な「過剰適応」が、かえって日本人が可能性を延ばすことを妨げていると言える。

ある意味では、日本人は、「根回し」や「段取り」や「空気を読む」といったあまりにも精緻に作り上げられた日本の社会構造に、子どもの頃から「人質」になっているとも言える。それに合わせることは、最初はそれなりに大変なことのはずだった。ところが、社会の中で「訓練」を受けているうちに、いつの間にか、もともとは自分の本性とは無関係だった倫理感、価値観が、内面化され、あたかも自律的にそれを選びとっているかのような錯覚を抱くにいたる。

ストックホルム症候群」 にもつながる事態が、私たちの足腰を萎えさせているのである。

そして日本社会のガラパゴス化、教育のガラパゴス化、マスメディア批判、若者は脱藩せよ、革命を起こそう・・・当時は茂木健一郎氏の言葉の一つひとつが私が感じていたことを言い表し、この人こそ信用できる学者だと思っていたのも束の間、数ヶ月するとそれまで言っていたことを全撤回することに.その理由として「この話をするとボクの先輩がいつも悲しい顔をするから」とツィッターで呟いた.それ以降フォローを止め、茂木健一郎氏をネットで見ることは全く無くなった.もう一年以上前のことだ.そして、この日記を書こうと久々に「茂木健一郎」を検索したら、なんと沢山の批判があることか.その中でも数ヶ月前に書かれた、別件で彼に裏切られたとし「茂木さん、あなたもですか?」というブログは、彼がいつもこのように「ブレている」ことを証明する.最近のツィートには、スティーブ・ジョブスとアップルの1984年の広告について「自分のヴィジョン、信念があることに意味があるのである。それが、たまたま、その時々の世間の常識や、既成観念と一致しない。結果として、Think differentになる。「異なる」ことは目的ではなく、結果なのだ。Think Differentのコマーシャルに登場した人には、すべて強い信念があった。彼たち/彼女たちにとっては、それが真実だったのである。「陽明学」の精神で幕末を貫いた吉田松陰のように、成功が保証されてなくても自分を貫くだけの、熱いパッションがあったのだ。」と発言している.信念ということをポジティプなこととして発言しているが、本人には何の信念もないことを私は確認した.

数ヶ月前にやはり日本人で「この人は凄い」と私が騙される寸前まで行った人がいる.苫米地英人氏だ.人工知能LISPの大御所であることと、洗脳の専門家であることが興味を持つ始まりだった.そして、ユーチューブやネットでの発言、主に世界経済や政治のことが「世界的観点」からであることや洗脳の話がとても面白いと思った.私は遠くにいるので、著書を買うことはできないが、ダウンロードで5冊(計1万円以上)ほど買い、何万円もするものを買う寸前まで行ったとき、考えが合わないことに気付いた.それは311の地震原発事故直後のブログかユーチューブかで「放射線汚染の食品を食べても身体に害はないからどんどん食べろ」という発言と、世界政治や地球環境を考えているはずなのに「今の日本人にできることはどんどんカネを使い消費すること」という発言で熱がさめてしまった・・・

最近ドイツのテレビ局が作った日本の原発事後についてのビデオがある.その中で、福島県放射線汚染による健康アドバイザー講演会で、沢山の肩書きを持っている医者が「ニコニコしていれば放射線の影響は受けない.くよくよしている人は放射線汚染で健康を害する」と真面目に話している.この他にも原発事故に関連した学者や評論家たちの支離滅裂な発言は、ネットに山ほどあがっているので、ここでは省くが、原発事故以外のことでもいかに日本には、信念を貫く人たちが少ないかということが解る.

テレビに出ること、有名人になることが目的の科学者、学者、評論家たちが如何に自分の思想を簡単に変更してでも権力に迎合しようとしているかは、丁度キリスト教などが出来上がる頃、様々な思想を持ち込んで、その時の権力に一番都合の良い意見を取り込んだことと似ている.キリスト教が大体出来上がるまでに数百年を要し、生き延びる為、権力維持の為に今でも必要に応じた修正が行なわれている.日本教が生成されているとしたら、まだ歴史は新しい.この60年か戦前を含めた80年か・・・思想的にはまだカオス状態なのか?

というより、世界は日本だけではない.キリスト教のウソや他の宗教でも沢山の人々は、それがその時の権力が権力維持のために利用したことを解っている.だから、政治や司法、社会生活でも宗教は完全に切り離されている(欧州の場合).ベルギーは国の宗教がカトリックというキリスト教でも、回教やユダヤ教、またはプロテスタント、正教、無神論などを認め、税金からそれぞれに割り当てられた助成金などで公立学校での授業をしている.私のような確信無神論者でも居心地が良いのは全ての思想を認め、社会生活から総ての宗教は完全に切り離されている社会だからだ.その反対に日本人でありながら、世界で一番居心地が悪いと感じているのは日本だ.日本教を信じていない人々にはとても居心地が悪い.

例えば日本人にとって、中東のユダヤ教と回教の対立や他の宗教の対立が理解できないのではないかと思う.日本にいた頃に「自分は洗礼を受けたキリスト教だ」と自慢する人々に度々あった.そしてその人の親友が創価学会ということもあり得る.日本人にとっては、キリスト教である前に「日本教」という一番根底の宗教があるので、その上でキリスト教であろうが、回教やユダヤ教に憧れていようがあまり関係ない.

しかし、根底にある(であろう)日本教という教えが支離滅裂であるとすると、一般の人々は信念を持つことも、普通に意見を持つことも出来ない、というかなぜこんなに支離滅裂な人たちが多いのだろうか?支離滅裂はもしかして言葉が悪いかもしれないので、別の言い方をすると生活、意見、思想、好きなこと、嫌いなことなどが一貫していない.

私が実際に出会った人々の例をあげて説明すると:
・子供のいないご夫婦で自分の子供と思って犬をとても可愛がっている.動物は全部好きだから、近所のペットショップへ毎日のように、飼っている犬の散歩の時に見に行く.そして毛皮のコートを身につけている(日本の外では動物好きは、動物愛護を前提としている人たちのことを言い、動物を商品として扱うことに反対.ましてや残虐行為の典型である毛皮は身につけない)
・学校が悪い、システムが悪いと長い間引きこもりをやっていた男の子.20代後半でサラリーマンになるチャンスを最大のチャンスとし、毎日背広を着て会社へ出勤することが自慢になった(こちらでは、教育や社会のシステムが悪いと思う人々は絶対にサラリーマンにはならない)
・自称クリエーター、アーティストがウヨクのいう排外主義を信じる.同時に外国とのアート交流をポジティブなこととする.(自由な表現を求めるアーティストには排外主義などはもってのほか、のはず)
・海とダイビングの専門家、イルカと泳ぐことが最大の喜びだと言う.海に入れない時はイルカ料理を探し歩く(イルカが好きなこととそれを食べるのが好きなのとは相反することだというのが世界の常識)

極端な言い方をすると、お寺のお坊さんの一番の好物は「分厚いステーキ」という外国では考えられないことが、日本では普通にあるということだ.私は長い間、マックフリークだったが、その理由はスティーブジョブスの「お金を稼ぐことより、素晴らしいモノを創り提供したい」という精神と、アップル社の徹底した環境問題に対応しようとする姿勢にある.リサイクル率でトップ3ぐらいに入ったこともあるし、銀座のアップルストアでもメールアドレスのある人にはメールで領収書を送るので「紙の領収書」は渡さない、ということも10年前からやっていた.(iPodが売れ出してがっかりする部分も多々あるので、現在はマック卒業を目指している)ジョブスが亡くなった後ネットで調べたら、彼は仏教に影響を受け、肉は一切食べなかったという.これらは当然想像できることで、製品と彼の生き方とは一貫していた.(他のパソコン会社と比べたら)

例えば、私のフェイスブックでの知り合い2400人ぐらいの内98%は日本人以外で、世界中の環境問題や動物愛護などを真剣にやっている人々だ.その中で全く別の話題になっても、意見の食い違いはほとんどない.フェイスブックを何かのビジネス的なことに利用する人も当然いない.ある人は、海の汚染で海洋生物が危機的状況になっていることに集中している.別の人は「ルーマニアの野良犬が毎日何百匹も殺されていること」を世界に訴えようとしている.アメリカのペット収容所から犬ネコを救い出そうとしている人もいる.中国の環境汚染の酷さを問題にしている人もいる.このように2400人の世界の人々がそれぞれの関心ごとを共有している.そこへ、今話題になっている「Occupy….」の話題や参加要請を持ってきても何の抵抗もなく、みなが賛同する.勿論まともな討論は通常のこと.環境問題を重要なことと思っている人々が「大量消費を推進する資本主義に反対する」のは当然のこと、一貫している.

ところが、70人ほどの日本人の3分の1は、何年も横浜で実際に知っている人たちだが、何を考えているのか、どのような信念を持っているのかさっぱり解らない.曖昧、うやむやを美徳として自分の信条や意見を書かないことが理由でもあるし、長い間知っている人で良い交流があっても、突然私の信条と正反対のことに賛同し推奨する・・・それで縁を切った人たちも何人もいるが、現在でも進行している.文化の違いを言えばそれで終わりだが、フェイスブックには欧米人だけではなく、韓国、香港、台湾、中国、フィリピン、マレーシア、タイ、サモア、アフリカ各国、中南米と世界中の人々と交流がある.そして「本当は何を考えているのかさっぱり検討もつかない」と感じているのは日本人だけだ.それに最悪なことにそういう事柄の論理的な討論もできない・・・

追記:ある国際人権NGOの横浜支部の集会場所は、カトリックの修道所を使っている.これは「一切の国、企業、宗教からの援助や支援を受けない」という中立を守る為の国際ルールが守られていない.それを何十回も説明しても全く理解してもらえなかった.彼らが言うには「無料で貸してもらっているし、宗教は関係ないですよ」という回答だ.私は一時期ボランティアで参加していたが、このように世界的な人権団体でさえ、日本に行くとルールが変わってしまう.「今日はカトリックの修道所を集会場所に使用するなら、来週はオウムに頼んで無料で場所を提供してもらいましょうか?そしてその翌週は統一教会とか・・」と皮肉を言っても通じない.そして、世界的人身売買の拠点(横浜の黄金町)が隣にあっても「見ざる、聞かざる、言わざる」を貫き、話し合いは「次のクリスマスでどこでクリスマスカードを売るのが効率が良いか・・・」これはもう、参加しても何もならない、と思い脱退した.

追記(2):永平寺、あなたも原発に賛成していたのですか!しかも事故から7ヶ月も経った後で「原発に対する認識が足りなかった私たちの責任は重く、間違いだった。懺悔(さんげ)することから始めたい」懺悔(さんげ)するのもカネ儲けに利用?